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 プロフィール

 

 事実は小説より奇なり

文化講演会:2011年11月12日(土) 13:30開演
 場所:「海の見えるホール」(東海道線大磯駅前 ステパノ学園内)       
 演題:「ノンフィクションの楽しみ方」
 講師:大野芳(おおのかおる)氏(作家)
 主催:明治大学大磯駿台会
 後援:大磯町

「事実は小説より奇なり」とよく言われます。
ノンフィクション作家で、伊藤博文や山縣有朋に関する著作もある大野芳氏は、近代史の数々の定説を洗いなおして、それにまつわる著書を数多く出版しています。
今回は「大磯ゆかりの人々シリーズ」の7回目として、この大野芳氏をお招きして講演をお願いしました。 大磯には、かって伊藤博文、山縣有朋を含め8人の総理大臣の邸宅がありました。

また、同講演会の後半は大磯、小田原に関係のある日本の歌曲を百合道子さん
(ソプラノ)と添田千恵子さん(ピアノ伴奏)に演奏していただきました。

講演に先立って挨拶  
中﨑久雄町長
明治大学は質実剛健をモットーとする学校であると聞いています。今日まで7回も大磯の文化人をテーマにした講演会を催し、町の大きな力となってきていることは本当に有りがたいことであります。今後とも今以上のご鞭撻を、明治大学の皆さんや今日会場に来ている方々にはお願い致し、誇り高い大磯町の文化をより一層高いものに私は努力していきたいと考えております。

黒川鍾信氏(大磯在住の作家、元明治大学教授)
明治大学の本校は東京・神田の駿河台(するがだい)にあるので、同窓会は略して駿台会(すんだいかい)と呼んでいます。
この明治大学駿台会は全国に相当な組織がありますが、このように文化的な行事を行っているのは私の知るかぎりここ(大磯)だけ。両隣(平塚、二宮)がマンドリン倶楽部を呼んでいるので大磯はこのような文化講演会を催すのが有意義だと思っています。

本日は大野先生に「ノンフィクションの楽しみ方」についてお話をいただくわけですが、文学の中でのノンフィクションという言葉。日本では筑摩書房が50年ほど前に「世界ノンフィクション全集」を出してから一般的になり、現在では多くの人に読まれています。私も島崎藤村のことを調べて書いたことがありますが、最後に、本になる寸前に証人が出て新しい事実が出てきたりします。本当に人や事件などを調べて事実を追ってゆくノンフィクションを書くのは大変です。

大野先生は、1941年愛知県生まれ。明治大学法学部を卒業後、雑誌記者を経てノンフィクションを中心に作家になられました。作品は非常に多い、50冊以上。いろんな分野、特に歴史、戦争を中心によくここまでと思うほどに取材をされています。 今回で7回目ですが、初めて明治大学の卒業生にお願しております。それでは大野先生よろしくお願い致します。

大野先生登壇
ノンフィクションとは
天気がよくなってほっとしました。いま、黒川先生から丁寧な解説がありましたように、ノンフィクションは分野としては新しいものに属します。ノンフィクションを書くときに、事実の断片というのを探そうとすればいくらでも探せるものなんですが、事実を繋げていきますと別なものができてしまうんです。
たとえば、南京大虐殺も無かったという人は全くなかったという。資料の取り方によります。30万人という数字が正しい、正しくないは別として、10分の一ぐらいはあっただろうという話になってくる。ノンフィクションというのは時代の流れの一断面を切り取ったものだとお考えになるといいだろうと思います。30年後、50年後になったら、また別な切り口が出てくるでしょう。

小説というのは一片のストーリーの読みきりですけれども、ノンフィクションは時代の流れの中のひとコマだと考えていただきたい。私たちも間違いを犯します。半年ぐらいたって間違いに気付くこともあるんです。だからと言って取り返して書き直すわけにはいきませんから 訂正はできません。何版か刷り直しが重なれば途中で直すこともありますが、そうでもないときは間違ったまま残ることになります。

昔のものでも間違っているものはあるんです。たとえば、荒畑寒村氏。住民運動をやった自由民権派の方ですけれども、あの人たちが主張していることでも間違いはあるんです。しかし、間違いは間違いとしてその時代に通ってしまったということもある。ノンフィクションというのはあてにならないけれども、長いスパンで見るとそういうことがあった、と。そういうのがノンフィクションなんですね。

芸大の誰かと朝日新聞が裏でつるんでいた ――― 芸大事件

皆さん海野義雄というヴァイオリニストをご存じでしょ。東京芸大の教授で世界に通用するヴァイオリニストでしたね。実は、海野義雄さんと私は親しかったんです。1981年ごろ、ガダニーニというヴァイオリンを業者から買って賄賂をもらったとかで有印私文書偽造と贈収賄の罪で逮捕され、芸大の教授辞めましたね(芸大事件)。実は、この事件、芸大の誰かと朝日新聞の記者がこの記事を作るためにつるんでいたんです。
ヴァイオリンの場合、いいのもだと800~1000万円の買い物になる。その時、本物であるという一流の演奏家の鑑定書が必要である。ガダニーニが本物であるかどうかわかる人が日本にはいなかった、海野さん以外には。
なぜそのように新聞沙汰になったのか。
海野さんは当時ヨーロッパに通用する唯一のスターだった。40~50歳のベテラン奏者を後ろに従えて、23歳でNHK交響楽団のコンサートマスター。指揮者の次に偉い役。39歳で史上最も若い芸大教授になり、スポーツカーに乗って学校に通っていた。そんな若僧に「この楽器、あなた方弾いて良さがわからないの」なんて言われたら他の教授は目も当てられない。 そんなことが背景にあってこの事件が起きてしまった。

名器の名器たるゆえんは「鳴りぐせ」

ヴァイオリンで評価が高く、最もいい音がでると言われているのがストラディバリウス。
糸川英夫というロケット博士がいましたね。私はその人と一時付き合っていました。
ストラディバリウスを研究して、同じものを作ってやると10年かけて作ったがダメでした。
300~400年も昔に作られたストラディやアマティーを超える性能の楽器がいまだにできていない。名器の名器たるゆえんとは何でしょうか。
ここをみなさん、考えたことはないと思いますが、私は考えてみました。

音には「鳴りぐせ」というものがあります。ストラディは本物が200本。本物 と称されているものが2000本ある。つまり、10倍のニセモノがあります。
いい演奏家がいい演奏を続ける。それでそのヴァイオリンは何百年も 大事に扱われてきて、いい「鳴りぐせ」ができる。
例えば、へたな人が車を運転するとすぐガタがくる。上手なひとが運転すれば10年でも
20年でも使える。ヴァイオリンでも「鳴りぐせ」がありますが、みなさんはあまり問題になさらない。しかし、これがかんじんなんです。
有名なヴァイオリンには歴代持主の名前がずっと出てきます。有名な演奏家が弾いたヴァイオリンはやはり値段がよい。演奏家の「鳴りぐせ」というものが名器をつくっているんです。

糸川英夫博士がどんなに立派なヴァイオリンを作ろうとも、有名なヴァイオリニストに200~300年弾いてもらわないと「鳴りぐせ」はつかない。「鳴りぐせ」がないと、いいヴァイオリンにはならないのです。
弾く人が弾くとそういう音がでるということ。名器の名器たるゆえんは誰が弾いてもではなく、弾く人が弾けば価値は高くもなり、いい音がでる。いくらストラディバリウスでも私たちが弾いたらのこぎりのギーコギーコの音しかでませんよ。
どんなに名人といえども、楽器と一緒にならないとダメなんですね。 海野義雄さんの事件からノンフィクションはそこまで話が広がる。たんなる楽器の購入問題ではなく、ノンフィクションはそのように展開するわけです。

河童を本当に見た人がいる

先ほどご紹介のありましたように、私はかっぱ村の村長です。
岩手県遠野市。昭和49年の8月、想像上の動物と思われていた河童がいるとの話があり、家内が岩手県の出身なので、義理の兄貴を誘って現地へ行ってみました。そうしましたら、河童の目撃者がいたんです。それも一人や二人ではありません。
私はこの話を仲間の編集者や作詞家などに話したら「河童をみる会」を作ろうということになり「かっぱ村」を発足させました。初代の村長は「天の夕顔」という小説の作者で有名な中河与一と言う人。私の文学の師匠でもあります。遠野で河童がを探したところ、NHK、岩手放送、共同通信などの記者数十人がぞろぞろついてきましたので、河童も遠慮して隠れてしまったのか、我々は見つけることができませんでした。しかし、「かっぱ村」を立ち上げたことで全国に我々より古い河童の会がたくさんあることがわかりました。

河童の話は、今になって突然出てきた話ではありません。仁徳天皇の昔、4~5世紀のころからあったようです。水蛇(みづち)など河童の呼び名は全国に200ぐらいある。呼び方は違いますが、河童の伝説は日本全国にあります。日本の土地と河童とは結びついているから何か根拠があるのでしょう。漫画のような河童は架空でありニセモノであります。しかし、日本人はみんなそんな河童を楽しんでいます。

芥川龍之介は「河童」という小説の中で、面白い話を披露しています。 河童の世界では臨月の母親がおなかの中の子に「生まれたいか、生まれたくないか」と聞くことができます。生まれたくないといえば、お腹がずっと小さくなります。これは芥川がこの世に生まれたくなかったという気持を河童に見立てて 表現しています。 東北の河童伝説に登場しますが、人工流産をさせるというのも人間の知恵であります。 望まない子ができたら、河童の子だ、河童の子だといって間引きできる。また、この世の中にあってはならないものを河童のせいにすることもあるんです。 三浦半島の砂鉄の砂取り職人は鎌倉の名刀づくりに貢献していますが、河童にされてしまう。また、平家落人が隠れている部落が「河童の里」になることもあります。ノンフィクションは調べていくうちにそういう面白い面があらわれるんです。

事件の真相は闇に葬られた ――― 伊藤博文暗殺事件

伊藤博文は、明治42年(1909)10月26日、ハルピンで暗殺されました。
犯人とされた安重根(あんじゅうこん)は、全責任を一身に背負い、従容として刑場の露と消えました。事件の一部始終を目撃した元貴族院議員の室田義文(よしあや)は、安重根単独犯行説に異を唱え、事件発生から30年経過した昭和13年12月、「室田義文翁譚」の一冊を遺しています。この世を去る3ヶ月前のことです。

明治42年10月14日、伊藤公爵は大磯の自宅(滄浪閣)をでて17時20分発の特別列車で大磯駅を出発して、一路下関へ。郷里の山口の春帆楼へ一泊。翌日、門司港から鉄嶺丸で大連港に到着。南満州鉄道の特別列車で、日露戦争後のロシアとの懸案事項を話し合うためにロシア大蔵大臣ココフツェフに会いに行きます。そしてハルピン駅で暗殺されるわけです。「伊藤公爵満州視察一件」という綴りが三つ外務省外交史料館に残っています。それを丹念に調べていきますと意外な事実が明らかになりました。

真犯人は楊成春

銃弾は、伊藤博文に3発命中。安と伊藤は身長163センチくらい。安が前かがみに伊藤に向け発砲したにもかかわらず、右肩から斜め下へ弾丸が入っている。室田は、二度にわたって検察官に事件のあらましを証言していますが、肝心の室田の証言は抜きとられています。誰かが故意に抜いたものでしょう。
事件の結末は、安重根を死刑にして幕を閉じますが、外務省は真犯人の名前を把握していたはずです。その名前は楊成春(ようせいしゅん)というウタジオストック在住の韓国人でした。

ところが楊成春は、安の取り調べが進行中に、安の仲間に殺されてしまいます。さらに重要な問題は、極秘裏に進められた伊藤の訪満がなぜ事前に漏れたかです。伊藤訪満を早くから知り、綿密な計算のもと事後のことも考慮にいれた「黒幕」は日本にいたはずです。結果的に楊成春が伊藤博文を射止めたわけです。

事件の黒幕は日本にいた

なぜ伊藤博文を狙う必要があったのか。
伊藤が生きていては困る人たちがいたからです。 伊藤は「朝鮮はとる必要はない。経済力を持たせるべき」と、併合に否定的でした。しかし、このままでは朝鮮の国土が、欧米の資本に買いとられてしまう、と心配した一派がいました。治安の悪化もあったかもしれません。日本の監視下で統治すればすべてがうまくいくのに、と考える武断派がいたわけです。
そんな折、伊藤とココフツェフとの会談を秘密裏に企画した男がいました。前満鉄総裁の後藤新平です。後藤はこの会談の情報を日本のある筋に流します。想像するに杉山茂丸という男です。日韓合邦運動をしていた政界の黒幕でもありました。この杉山からウラジオストックの韓国人会に伝わり、ウラジオの韓国人会が刺客を送るという構図です。そして名乗り出たのが楊成春で、安重根とも親しい元韓人会の会長です。

そして、10月26日、ハルピン駅頭で事件が起きます。楊成春は逃れ、意外にも伊藤に接近して撃ったのが安重根でした。安重根の出現は楊成春にとってハプニングだったかも知れません。そして安重根が捕らえられ、取り調べをうけるのです。
日本の官憲は、安が全責任をとって刑死するのを知っていたのでしょう。獄舎に揮毫を求めたのは日本の管憲たちです。だから、たくさんの安の書が残ったのです。安一人が犠牲となり、日韓併合のドラマは終わりを告げます。そして杉山茂丸は、朝鮮総督に後藤新平を推薦します。これが何を意味しているのか、想像をたくましくすればキリがありません。しかし後藤総督は実現しませんでした。
明治43年8月、日本と韓国は併合され、韓国の王族が日本の皇族に準ぜられるのです。

 

5分間の休憩後、第2部の日本の歌曲を中心としたコンサートへ移る。
特別ゲスト出演:百合道子さん(ソプラノ)
           添田千恵子さん(ピアノ伴奏)                                            (文・佐藤邦康)

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